「【恐怖】を考える」

夏である

しかし所沢はこの2〜3日

どんよりとして雨が降ったりして

気温もそれほど高くない

とても「盛夏」といえない状況だ

これでは

夏の風物詩である「怪談」や「ホラー映画」が

それほど欲しくはない

考えた

おれたちはすでに「恐怖」をかなりまえからエンターテイメントとして捉えてきたのではなかろうか?

たとえば稲川淳二などは「独演会」みたいな催しで会場を満席にできるほどの人気だし

映画やテレビでも所謂「恐怖系」のものはそこそこの固定客を持っている

つまり嗜好として「恐怖」というものが成り立っているのである

そもそも「怪談」というもの自体が

「恐ろしいハナシを愉しむ」ためにつくられている

文芸作品でも

古典と称される「ねじの回転」や「山荘奇譚」なんていうのは

怖さを愉しむための文学である

原始

我々の祖先は暗闇のなかに

恐ろしいものの存在をかんじ

そこにいないものを創造し

信仰やら神によって

恐怖から逃れるワザを編み出してきた

しかし

人類の精神の進化なのか

次第に「怖いこと」をも愉しむようになってきた

日本各地に残る伝承も妖しいもののけ

かつては戒めだったり禁忌だったりしたはずだが

それがエンターテーメントとして転換していったのだ

とはいっても

人類すべてが「恐怖」を愉しめるワケではない

おれの友人のなかには

そういうハナシに滅法弱いヤツがいて

本気で怒り出したりする

嫌いなひともいるのである

かくゆうおれも

恐怖の類いは好きなのだが

血がドバドバ出たり肉片が飛び散ったりするような描写は苦手なので

スプラッター系映画やゾンビ系映画はほとんど観ない

ああいうのは「邪道」だとすら思っている

あれは怖いのではなく気持ち悪いのだ

恐怖ではなく不快なのである

近年で出色の作品は

小野不由美の「残穢」だ

映画化もされたが

小説のほうが圧倒的に怖い

この小説は「逃れようもない恐怖」を描きながらも

本人の意思とは関わりなく

呼応したりしなかったりする

その選択権は「それ」の側にある

しかも「それ」は無制限に拡散していく

しばらくは

この小説を凌駕するエンターテーメントの恐怖はないだろうと思う

しかし

我々はどうしてこんなものを愉しむようになったのだろうか